Thursday, October 16, 2008

黄山(こうざん)


黄山は中国の東南にある山です。ある所が重要だし、古い歴史を持っているし、昔から有名です。二千五百年前に黄山について初めて文ができて、黄山の色々な状況を紹介しました。黄山がある所が重要なので、戦争の時に将軍達は黄山が欲しがっていて、よく敵から黄山をもらうために戦いました。人が高い山頂に立ったり、足下の広い景色を見たりして、そして感動して、よくもっと素晴らしい作品を作れるだろうと私は思うので、和平の時には文人達は黄山に観光に行ってみて、そこで書いた詩文や描いた絵を易しく見える岩で出展しました。こんなことは速く習慣になって、山で色々な作品が千つもあったから、その作品を見たい人も黄山に行ってみようと思ったかもしれません。人気がたくさんあったので、千年前にある町の名前も黄山になったそうです。でも、黄山が有名になった理由は文化しかじゃありません。自然の景色の方が文化より有名です。
実は中国で黄山と同じ有名な山が五つあり、「五嶽」と言います。みんな自分の特別なことがあるから、「どれが一番いい」の質問が難し過ぎるんですが、滅らしい景色なら、黄山はもちろん一番いいと人々は言います。特に「奇松怪岩」と「雲海日出」と言う景色が綺麗です。「奇松怪岩」は海をじろじろ見ているモンキーや散歩している象みたいな岩と「いらっしゃいます」と言っていそうな松で、とても面白いです。だから、黄山に旅行しようと思っている時に、ぜひビデオカメラを持って、観光の道を調べておきます。そして、「雲海日出」は朝山頂から下を見て、赤い太陽が海みたいな白雲の中で急に出して、緑の松の上でゆっくり上げる景色です。とても滅らしくて、黄山だけで見えるそうです。私は見たことがあって、本当に綺麗だと思います。ところで、朝早く山頂の気温が低いから、「雲海日出」を見たい人は見た前に、暖かい服を着たほうがいいでしょう。

コウザンで夜食べた御飯


私は旅行するのが大好きです。子供の時父は一年に三、四回私を連れて旅行に行きました。今私は大学に入ってもう大人になりました。父母が安心するし、お金を持っているし、一人旅が始められます。だから、今年の夏休みにどこかに旅行に出かけるつもりでした。ほかの旅より一人旅のほうが自由ですが、多分寂しいので、一緒にうれしく話せる友達と旅行したほうがいいと私は思って大学の親友二人と綺麗だと聞いたコウザンに行ってみたかったです。コウザンは中国の東南にありました。山と言うから、一つ山みたいですが、実は高い山が七十二あります。そこに綺麗で特別な景色も珍しいものもたくさんあるので、山を登るのが好きな人や食べなかった料理を食べてみたい人なら、ぜひコウザンに行ってみるそうです。
私たちは九時に北京で飛行機に乗ってコウザンがある町まで二時間ぐらいかかりました。夜遅く空港に着いたので、三人は全部疲れていて、お腹がとても空きました。だから、一緒に急いでレストランを探してみました。三十分後、空き過ぎて大抵死にそうな三人は小さいレストランを探しました。おじいさんみたいウエイターからメニューをもらって、メニューをみていて、どれも美味しそうでした。特に御飯が美味しそうでした。私はウエイターに「何でもいいんですが、出来るだけ速く作ってください」といいます。ウエイターは分かったみたくて、「少々お待ちください」と言っていて、笑っています。それから、私たち何も言わなくて、十分ぐらい食べていました。広告で見た美味しそうな焼き野菜や山の中にいる特別の動物で作った辛い料理などをたくさん食べました。そして、レストランの中の人を考えました。色々なお客さんがお酒を飲んでいて、ジョークをしたり、テレビを見ていて、ドラマが出ている女の人について話したりしていて、みんな楽しそうでした。親友と高校生の時の面白いことについて話して、私もたのしかったですが、ちょっとうれし過ぎたから、あまり寝られませんでした。
北京に帰って、家族にコウザンの夜御飯の話をして、みんな笑いました。おなかが空くのは大変ですが、たくさん食べたの後は幸せになりました。生活と同じだと思います。悲しいことの後のうれしいことはやっぱりもっと素敵です。

T-シャツの悩み

私、ジョンという主人のT-シャツで、CK・小五郎と申します。生き物じゃないから、考える事があまりありませんが、悩みなら三千もあるんです。いつも両親と兄弟に会ったり、故郷にもっと一回帰ったりしたいですが、多分出来なさそうです。これは色々な悩みの中で、一番悲しい事かもしれません。止まっていて
私の出身はベトナムです。父親は男の綿布ですが、母は私を編んだ女の人です。小さいの時に父母を去って、船で兄弟二千枚と一緒に北京に行きました。当時、みんな大きくて黒い部屋に住んでいて、何も見えなかったし、誰も話さなかったし、つまらなかったですが、ぜんぜん寂しくありませんでした。でも、一ヶ月後そんな生活は終わりました。
ある日、店員と言う人が部屋に来て、私を持ってショッピングセンターと言う所に行くつもりだと言っていました。誰か私達を買えるということが私たちの人生の目標だそうなので、私は主人がほしくて、私を買えるお客さんを探してみたかったです。二日、可愛いみたいな女の子が私を買って、私はとても嬉しくなりました。その子は実は主人の彼女で、バレンタインデーに私とチョコレートを主人にくれました。主人は笑っていて、私を着てみて、ちょうど似合いました。その時から、私は主人と一緒に住んでいて、楽しいことも悩みもたくさんあります。
私をもらった後、主人は寒い水だけ使って洗わなくてはいけなくて、手で洗ったほうがいいと書いたり、私が大切なプレゼントだと言ったりしたが、ホワイトデーに暖かそうなマフラーを一本しか彼女にお返しにあげなくて、ちょっとけちだと思います。そして、多分私を着るのが欲し過ぎるし、時々運動する時にも私を着ています。私は汗が本当に大嫌いだから、気分が悪くなります。そんな時私は「ナイキを着たらどうですか」と言いますが、主人はぜんぜん聞けないかもしれません。
主人は私の言葉が分からなくて、悩みを相談出来ないし、アメリカで兄弟に会ったことがないし、私は寂しいなあ。だから、いつも一年に二回主人が中国に帰る時を楽しみにしています。その時に私は中国に住んでいる兄弟に会うことが出来るかもしれません。